説教要旨

7月26日

【主日第二礼拝メッセージ】                            エリヤ松田牧師

第一テサロニケ4章16~18
16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
18こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

 今回のパトモスチームでは7/15にコリントでの礼拝に導かれました。
 聖書の中のコリント人への手紙 Ⅰの12章~14章では御霊の賜物のことが語られています。御霊の賜物のことは、現象は初代のエルサレム教会で始まりましたが、教えはコリントから広がりました。
 このパトモスチームでは、私達が毎回コリントへ導かれていることの意味が開かれました。神様が私たちを通して賜物の働きを世界に推し進めていこうとしている、ということです。言うなれば、私たち一人一人を通して賜物の働きは世界へ大きく用いられて行くということです。
 
 黙示録6章1~2では白い馬に乗っている者が『弓』を持っていますが、パトモスチームでこの『弓』の意味が開かれました。『弓』は武器の一つですが、離れているところの敵を倒す、遠くの戦いにおいて用いられる武器です。つまり、私たちの福音宣教の武器としては、インターネット・電子書籍・映像を指すということが開かれました。これらはリバイバルの時の主要な武器なのです。

 携挙とは、クリスチャンの方々が、死を見る事なく天に挙げられることです。また、クリスチャンが全員携挙されるのではなく、携挙される人と、携挙されない人がいます。
携挙されるのには、3つの条件があります。(マタイ25章)
聖霊に満たされ続けている
 満たされ続ける、『続ける』ことがポイント
御霊の賜物を用いている

神様からの使命に忠実である
 神様が皆さんにやってほしいと望んでいる召し、『本来やるべき召し』をやっているかどうか。
 まだ、ご自分の召しが分からない方は、ちゃんと祈って聞いてください。神様の導きを聞くポイントは、1.分かるまで心から祈る。2.必ず分かるように神様が語ってくださると期待して祈る です。
 
 神様は、皆さんに携挙されてほしいと望んでおられます。ですから、私たちの努力ではなく、携挙されるように祈ればいいんです。皆さん、神様により頼み、共に携挙の恵みに与りましょう。

 リバイバルについては聖書に書かれています。
使徒の働き2章16~20節
16これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
17 『神は言われる。
 終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
 すると、あなたがたの息子や娘は預言し、
 青年は幻を見、
 老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、
 わたしの霊を注ぐ。
 すると、彼らは預言する。
19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、
 下は地にしるしを示す。
 それは、血と火と立ち上る煙である。
20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、
 太陽はやみとなり、月は血に変わる。


 ヨエルの預言ですが、これはペンテコステの時に成就した預言であると共に、キリストの再臨を示す、まだ成就していない預言です。終末のリバイバルにおいて患難時代、イエス様の地上再臨の直前の時代において、主からの激しい霊の注ぎかけがあります。そして預言を中心とした賜物の働きが大きく用いられていくのです。

黙示録7章9節
9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから誰にも数え切れぬほどの大勢の群集(終末のリバイバルで救われてきた人々)が、白い衣を着、シュロの枝を手に持って御座と小羊の前に立っていたとあるように、これは終末のリバイバルの時代、多くの者たちが救われそして天にいる光景です。多くの人は救われますが、殉教者も多く起こるということです。

黙示録6章2節
2私は見た。見よ。白い馬であった。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。

 白い馬=イエス・キリストが勝利を得ようとして出て行ったとあるように、終末の勝利、リバイバルが起こるということです。
 
 そのような大きな働きに召された私達は、賢い娘のように聖霊に満たされ、賜物を使い続け、神様の使命に忠実に歩む物でありましょう。ただし、自分の力ではなく、神の力により頼むことによって、ですが。