説教要旨

2015年8月2日

主日第二礼拝メッセージ】                           
ローマ人への手紙12章1節

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

 エリヤ松田

 クリスチャンの方々の中には、クリスチャンらしく歩みたい、清く正しく生きようとして葛藤の中にいる方々が、おられます。しかし私達は、今は肉の体なので、肉の力では全く罪や失敗から開放されることはできません。

まじめにクリスチャン生活を送ろうと思う人ほど、出来ないことに罪の意識を感じることが多いように思います。

 律法は、自分の力で何とかしようとすることです。

 信仰は、神様により頼んで何とかしていただくことです。

 

 千年王国ではクリスチャンは御霊の体、栄光のからだに変えられます。その時私達は全く罪から開放されています。私達は、最低でも天国では全く罪の無い、キリストに似た完全な者になります。

 今はキリストの十字架を信じた人々は、十字架によって全く罪が無い者、義とされています。今は、まだその実質が具体的に現れていないだけです。ですから、神様が私達を罪の無い者としてくださった事に、信仰を持って対応して行きましょう。


具体的には

 ①悔い改める

 ②「私は全ての罪から解放されて義とされていますから感謝します。」を告白する。

 神様は私達をキリストに似た者としてくださっている、という立場に立って、受けたと信じる信仰を用い、また 求めて行きましょう。