説教要旨

4月26日
【主日第二礼拝メッセージ】 

ピリピ  2章6〜11節                                     
エリヤ松田牧師
 (8節)キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまでも従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

  イエス様は、父なる神のみ心が何であるのかにこだわっていました。サマリヤを通って行く…というのも、普段は通らないルートでした。そこを通らなければ現れない、神の業があったからです。
  イエス様は、神様のみ心のみがなる事だけにこだわられていました。それゆえ、十字架の死にまでも従われたのです。
   私達もイエス様の十字架によってあがなわれ救われた者です。あがないとは、神様によって代価を支払われて買い取られた…という事なので、自分自身のものではなく、すでに神様のものです。それゆえ、神様への愛の応答として聞き従うのです。神の前にへりくだって従う事が重要なのです。自分自身のこだわりを捨てて従う事、神様の言葉に低くなって従う事が、信仰の原則を使う事でもあります。
   私達に神様の約束の言葉が語られたのなら、その言葉を単純に信じ従うのが、神の言葉に低くなるという事です。
   神のみ心のみにこだわる歩みの中で、必ず神様の約束の言葉の成就、実がついていきます。
   神様のみ心にこだわり、聞き従う歩みを全うしていきましょう!