説教要旨

2015年8月9日

ローマ人への手紙 12:1-2
1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。


エリヤ松田


  私たちの人生を神に受け入れられる供え物として捧げよと勧めている。これは神のみ心の人生を歩めるように、神のみ心のために人生を使うという事である。
それは、神の言葉に立ち、神の言葉を人生に入れ、神の言葉に従うことである。

参照創世記1:1~2
神の言葉が発せられるなら創造のみわざが成される。
私たちの人生にも同様のことが成される。
神の言葉に信仰を働かせそのみ言葉を告白し、み言葉に立つことである。

参照コリントⅡ4:6ー7
この箇所においては、土の器(私たちの体)に宝(聖霊)を入れていると言っている。
その内住の聖霊によって神の栄光のを知る知識が与えられる。そして、聖霊の力によってキリストに似た者と変えられていくのである。

参照ローマ6;5ー7
ここにあるように、イエスキリストの十字架を信じるなら、古い自分に死に、罪から解放され、イエス様と似た者となる。それゆえ、何度も繰り返す罪においてもその度に悔い改め、感謝し、キリストによって、解放されましたと告白して、その立場に立ちましょう。受けたと信じる信仰を働かせるなら、聖霊の力によって、それが成就します。