説教要旨


 5月10日
【主日礼拝メッセージ】                                          エリヤ松田牧師


ピリピ  2章6〜11節

(8節)キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまでも従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
 イエス様は、父なる神のみ心が何であるのかにこだわっていました。サマリヤを通って行く…というのも、普段は通らないルートでした。そこを通らなければ現れない、神の業があったからです。
  イエス様は、神様のみ心のみがなる事だけにこだわられていました。それゆえ、十字架の死にまでも従われたのです。
   私達もイエス様の十字架によってあがなわれ救われた者です。あがないとは、神様によって代価を支払われて買い取られた…という事なので、自分自身のものではなく、すでに神様のものです。それゆえ、神様への愛の応答として聞き従うのです。神の前にへりくだって従う事が重要なのです。自分自身のこだわりを捨てて従う事、神様の言葉に低くなって従う事が、信仰の原則を使う事でもあります。
   私達に神様の約束の言葉が語られたのなら、その言葉を単純に信じ従うのが、神の言葉に低くなるという事です。
   神のみ心のみにこだわる歩みの中で、必ず神様の約束の言葉の成就、実がついていきます。
   神様のみ心にこだわり、聞き従う歩みを全うしていきましょう!


4月19日
【主日礼拝メッセージ】                                         エリヤ松田牧師


ヘブル人への手紙5章14節

しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

  私達は、肉体においても成長段階に合わせた食物があります。それと同じように、霊においても成長段階に合わせた食物があるのです。
 この聖書箇所にあるように、おとなの食物である堅い食物は、良い物と悪い物とを見分ける…というのが、大前提です。
それでは、良い食物とは何でしょうか?それはもちろん、神様からの物です。私達は神からの良い物によって、人生を満たし、歩んでいく必要があります。それを受けるには、まず神に良い物を選んでいく事ができるように…と祈る事から始めるのが、人生の決断の第一歩となるのです。その人生を歩む事が、真に神の前に価値のある、私達に対する神様の目的を果たす人生となるのです。
クリスチャンの人生とは、神様の祝福が置かれた人生、神が共におられなければ、こうはならない…というようなものです。神様の特別な助けがあり、恵みと祝福が満ちた人生が用意されています。
その神の計画された人生、召しに応答する事が重要です。神様が『わたしに従いなさい。』と言った時に従い始めましょう!
神様の約束の言葉を受けて信仰を使い、すべての事を感謝して歩む事に決めて実践していく時に、私達は、神様からの良い物によって満ちた人生となっていきます。
その事を求めて祈り、神様に聞き従う人生を歩んでいきましょう!