説教要旨

5月24日
【主日第二礼拝メッセージ】 

へブル人への手紙11章1節  
                               エリヤ松田牧師
  信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。

  私達の信仰は、イエス・キリストの十字架を信じる事から始まる。それは、聖霊の助けがなければ、信仰を告白する事はできない。神の特別な恵みである。聖書の箇所で信仰は聞く事から始まる…と書かれている。それはもちろん、聖書のみ言葉や預言の言葉、メッセージなどを通して語られてくる言葉である。
  私達は神の子供としての特権が与えられている。神様は愛を示すために、約束の言葉を与え、その約束の言葉の成就、実現を現してくださる。
  神のビジョンは、私達の力では不可能と思える事柄を語ってこられる事がしばしばある。神の約束の言葉、ビジョンが語られた時に、それを信じ受け取り祈り始めるという信仰の対応をとっていく必要がある。神の言葉によって始まった働きは、神の力によって成就するので、信仰の歩み出し対応をなす事が重要である。
  信仰の歩み出しとは、まず、神の約束の言葉を握り、祈り始める事。そして、その約束の言葉をもう成就したと告白する事である。
  聖書のからし種の信仰の箇所にもあるように、『受けたと信じる信仰』を用いるのもポイントである。神が語られたなら、神様が成し遂げてくださるので、現実では何もなかったとしても、それがもう成就したと信仰で受け取り、成就したと信仰の告白をしていくならば、必ず主の時に成就する。
  このヘブルの聖書箇所にあるように、信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させる…ので、ただの希望としてではなく、すでに現実として見ているかのように確信する事ができる。私達が信仰の対応を正しくしていくならば、神の力が働き、祈りが満ちていく中で、神のビジョンがもうすぐ成就していく…という感覚がくるようになってくる。まだ目に見えていなくても、神からの確信がくるのである。
  その事柄を覚えつつ、神のビジョンを握り、信仰の対応を成して、神の約束の言葉の成就を見ていきましょう!