説教要旨


創世記1:1-4、26-28
1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
4 神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。

26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。
  彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。
  海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

エリヤ松田牧師

 『初めに神が天と地を創造した。』 聖書は、誤りなき神のことばである。私達が学校で学ぶ進化論は、
偶然がすべて作用してこの世界は創られた、、、と言っている。しかし、聖書では3節にあるように
『光があれ。』すると光があった、、、とあり、神はそのことばをもって創造された。
神は私たちの人生においてもそのことばをもって、創造のわざを成される。
神のことばが私たちの人生に入り始めるならば、そこから私たちの人生において大きな変化が現されてくる。

 神は動植物を創造された時に、『ふえよ。満ちよ。祝福されよ。』と言われた。その神の願い思いを損なう
ことのないように、人間を創造された時、それを支配するように神のみ心に従って治めるように、、、された。
そして神はご自身に似た者として人間を創造したので、神が愛するように、被造物を愛し、いとおしむように
人間を創られたのである。そして、創造のわざを終えられた時、7日目に休まれた。この日を祝福し、聖である
とされた。それは神が安息をされたので、安息日として神のところに来て神の祝福を受け、神の安息を受けるよ
うにと定められた。それゆえ、主日(安息日)を聖別して教会に来て、神を礼拝する時に、神の特別な祝福や安
息が与えられるのである。その祝福を受けるためにも、日曜日は教会に集いましょう。

余談ではありますが、『神に信頼する者は失望させられることがない』とあるように、たとえ心の中で疑ったと
しても神に信頼する立場を崩さず、そこに立ち続けるならば神のわざは現されるので、その信仰の立場に立ちつ
つ神の約束のことばを告白して主のわざを見て行きましょう。