説教要旨

2015年9月6日
【主日第二礼拝メッセージ】
創世記6章1-9

1さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
2神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
3そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。
4神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。
5主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
7そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
8しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
9これはノアの歴史である。
 ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

エリヤ松田牧師

アダムとエバは罪のない最高の状態に創られた。しかし善悪の木の実を食べて罪が入ってしまった。
罪とは「的外れ」という意味があるが、神との生きた交わりが断たれてしまう状態のことを言う。
私たちの力では罪から離れることができず、感覚がマヒして罪が増し加わってしまうことになる。
罪の力には打ち勝てず、こころが悪いことに傾いていってしまうのである。その事をこころの中で悪、
罪を作ると聖書は言っている。罪が入った結果が、その罪の増大、悪の増大となっていったのである。
聖書では、罪に傾くことと真逆のことが書かれている。
それは、箴言1章7節 「主を恐れることは知識の初めである。」このように私たちが得る知識の
スタート台を主を恐れることとせよ、と聖書は勧めている。
私達は、地上生涯でどのように歩むべきか。
それは、主を恐れ、主を認め、主が共におられるので主に従い、みこころを求めていくべきである。
主が共におられる、主と共に行動する歩みを成していきましょう。