説教要旨

12月6日

【主日第二礼拝メッセージ】                        エリヤ松田牧師

ピリピ320節、21節   

 聖書にはこれからの時代がどうなるか書かれています。約2000年前、イエス様が来られて十字架にかかられた後オリーブ山から昇天されたのです。血肉の体ではなく御霊の体第1号として復活するのです。私たちイエス様を信じるものが御霊の体を与えられるのは復活のときです。1つ目は、携挙(艱難時代の真ん中)に起きます。前半までに生きている時はぜひ、携挙されてほしいです。携挙されるように祈ってください。携挙は、クリスチャン全員ではありません。残る方があります。携挙は、救いとは違います。聖書に条件が書いてあります。①地上での生涯における使命、仕事をやっておく必要がある。ゆだねられた仕事をやる必要があります。②聖霊に満たされる必要があります。満たされるには、感謝すること、神を第1としていること、教会に来ていること、主に聞き従うこと。③賜物を用いることが必要です。この3つが携挙のための試験範囲です。これを元に主の力を頂いて全うできるように求めつつなしていきましょう。

 もう少しすれば中東和平が包括的に成就します。包括的に成就するとは、イスラエルとパレスチナが本当の意味で和解します。が、これは、実は偽りの平和なのです。なぜなら、中東和平で、和解させる人物が反キリストといわれ、ヨーロッパから立ってくる政治的リーダーなのです。まさに、サタンが人格になったような人物―歴史上、最もクリスチャンを迫害し、最も多くの人を殺す人物―が、中東和平を締結します。そうなったら、再臨まで7年です。我々が生きている間にかんなん時代に入る可能性が強いと見たほうがよいでしょう。携挙が3.5年で起こります。条件を満たしているフィラデルフィア教会を中心に各教会勝利を取ったものが携挙されます。しかし、残った場合大患難時代にはいります。反キリストが世界を支配するようになります。聖徒たちに戦いを挑んで勝つことを許される時代となります。反キリストは、2つのことを強要します。①反キリスト、及び反キリスト像を拝むこと。これは、偶像礼拝ですので、救いを失います。②刻印を受けること。刻印を受けないと、売買できなくなります。刻印を受けることは背教を意味しますので、救いを失います。残ってしまった場合は、拒否できるように祈り備えましょう。信仰を守り通せるように祈っておくのです。拒絶したら、殉教―これは勝利をとったものといっています。大患難時代に殉教した方は、キリストの地上再臨の後に復活します。地上再臨の時、キリストとともにすべての聖徒がやってくると書いてありますので、ダビデなどもともにやってきます。その後、千年王国です。地上でキリストが治められ、私たちもキリストとともに治めます。そして、最後にサタンが解き放たれますが、滅ぼされます。その後、神を信じないで亡くなった方々の最後の審判。そして、神の国―永遠に続きます。

 これらのことを踏まえつつ、今日のメッセージに入っていきます。「けれども、私たちの国籍は天にあります。・・・・待ち望んでいます。」とあります。天に行くのを待ち望むのではなく、主イエス・キリストが天からおいでになるのを待ち望んでいる。地上再臨で地上に来られるのを待っていると、言っているのです。さらに、21節「・・・御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」とありますので、パウロが待っているのは、天国に国籍のある者として、イエス様が地上に来られること、及び私たちの体が御霊の体に変わるのを待ち望んでいるといっているのです。実は、ここから(携挙)先を待ち望んでいるといっているのです。今、血肉の体で歩んでいますが、これが御霊の体に変わって以降の歩みを受けたと信じる歩みをやっているのです。これらのことを正しく理解しておくことは地上の歩みを正しく歩んでいくこととかかわってくるのです。携挙、地上再臨から以降、状況は大きく変わります。天では天の仕事があるようです。地上の私たちも同じです。天ではできないことがあります。ルカ16:1923を見てみると、ラザロと金持ちがともに死んで、1人はアブラハムの懐に、もう1人・金持ちはハデス(留置場)です。ハデスとアブラハムの懐には、大きな淵があって超えることはできないし、行く事もできないとあります。天と地獄の行き来はできないのです。また、天国から人を送って福音を伝えさせることはできないのです。生きている間に天国に行って帰ってきた人の証は聞いたことがあります、聖書にもあります、パウロもそうです。しかし、天国から人が送られてきてメッセージ、福音を語ったことは聞いたことがありません。地上に生きている者たちの使命、私たちにしかできないことがあるのです。それは、福音を伝えることです。ペテロに、御国の鍵を与えます(マタイ16章)と言っています。教会全体に御国の門を開く鍵を与える、教会が福音を伝えるなら天に行く門が開かれると言っているのです。教会に与えられたこと、教会の一部として地上で生きているときに与えられる権威、使命は福音を語ることなのです。地上生涯の中で私たちは、神様から頂いたお仕事として、頂いた分の中でみこころの形で福音を伝えていく使命を全うしていく必要があることを覚えていただきたいと思います。