説教要旨

12月20日

主日第二礼拝メッセージ】                        エリヤ松田牧師

マタイ1617節、18 

 この箇所は、ピリポ・カイザリヤで弟子たちに問いかけをしたところです。ここは、パンという偶像がまつられていて偶像にいけにえを捧げる習慣があり、多くの人が殺された場所です。本当の神様がどういう方か知らないで偽りの神様に礼拝行為をしていたこの場所で、人々は私をだれといいますかーと問いかけられたのです。イエス様の正しい知識を知っているとしても、個人的に救い主としてのイエス様を知っていないからです。イエス様の十字架が私たちの罪の身代わりであり、罪を背負って死んでくださり、三日目によみがえり天へ、それを信じるだけで救われ天国にいけること。周囲の方々は、神様に対する正しい知識を知らないのです。そのなかで、その弟子にたいして、問いかけるのです。

 ペテロは、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えるのです。18節のペテロとは、岩のこと、男性名詞です。この岩とは、女性名詞ですので、私はこの岩、ペテロの岩の上にではなく、ペテロが告白した信仰告白―神が与えたもの-ペテロに示された啓示、新約時代の教えの上に教会を立てると、神は言われたのです。信じるものたちの集まったところが教会です。教会に神の使命、神のわざ、ちからがあります。「ハデスの門もそれには打ち勝てない」とありますから、教会に与えられた教え、力は人々を滅びに至る道から救い出すことができるのです。次が重要です。「私はあなたに天の御国のかぎをあげます」とあります。あなたとは、ペテロです。つまり、教会に立てられた者に対してかぎを与えるといっているのです。ここでは、教会に対して、福音を伝える使命、力、権威を与えているといっています。福音を伝える使命は地上にいるクリスチャンとしての使命ですその使命が教会にあるのですから、私たちは、教会の一部としての使命があります。神が皆さんを通して使おうとしているポイントを捉えておく必要があります。皆さんの賜物、タラントが用いられます。かつて祈ったことが答えられます。また、短所も用いられます。マイナスも受けたと信じる信仰を用いるのに赦されていることがありますが、この中に学びがあります。弱さを強さに変えて下さり、証として用いてくださいます。マタイ1819節から20節に同じようなことが出てきます。ここで、イエス様が「まことに」というのは、大事なことですよという意味です。ここでは、罪を犯した兄弟が悔い改めるというのがテーマです。罪を犯した兄弟、信仰から離れて言った兄弟が悔い改め、神に立ち返ってくるためにあなた方が二人でも三人でも心をひとつにして祈るなら神様は聞いてくださいますということです。罪人が滅びる事はみこころではないとありますから、兄弟のために、周囲の誰かのためが救われるために祈るなら、神様はその祈りを聞いてくださいます。教会に使命があります。その土台は祈りです。教会で心を合わせて祈ることが大切なのです。心をひとつにして祈る体制をとりつつ福音を伝えていくということを覚えつつ、ともに使命を全うしましょう。

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